2007/12/25

一年を振り返っての雑感・・・

友を訪ねて欧州三千里。最終訪問地は、11年来の友人が花留学しているオランダ南部のデンボッシュという街。先日は、彼女の住む学生寮で、アムステルダムから車を飛ばしてやってきた共通の友人R氏と飛び入り参加した韓国人留学生S君を合わせた4人で欧州お好み焼きグランドツアー最後の晩餐を楽しむことに。ささやかながらも、気の置けない友とのこうした時は何事にも変えがたい貴重なひとときだ。

今年も沢山の素敵な人に巡り合い、楽しい時を共に分かち合えたことに感謝しつつ・・・。

明晩のルフトハンザ便で3ヶ月間滞在したヨーロッパを離れ、エジプトに向かって発つ。



旅の半分以上が過ぎ去ったといえまだ数ヶ月残っている状態で過去を振り返るのは早い気もするけれど、次の大陸移動のタイミングが年末と重なってか、いま頭の中ではこの一年に自分の身に降りかかった公私にわたる悲喜交々が浮かんでは去り、去っては浮かんで走馬灯のようにかけ巡っている。



確か一年前の今頃は、日本から片道3日かけて訪ねたラオス北部の辺鄙で極度の食あたりに苦しんでいたんだっけ。仕事にしてもプレッシャーやストレスこそあれ、人間味に溢れた素晴らしい同僚や上司、お客さんとの人間関係にも恵まれてやり甲斐を感じていたから、半年後に自分が仕事を擲ってこうして旅に出ていようとは考えもしなかった。それが管理職として犯してしまったちょっとしたミスからくるストレスと、勤めていた会社の合併という大きな荒波に浚われて自分を見失いそうになる一歩手前で、所属も収入も一旦断ち切ってこれまで歩んできた人生の棚卸しをするための7ヶ月という時間を自分に与えることにした。



社会人としてまだ何もわかっちゃいない未熟な二十代の頃は、与えられたチャンスはつべこべ言わずに噛り付く勢いで仕事に取り組んできた(つもりだ)。それが三十代になると、組織の中であればそれなりに責任のあるポジションを与えられ、また社会の中における自分の置かれた環境や能力の限界も客観的に判断できるようになる。同時に、現実がいかに欺瞞や虚飾、偏見に満ち溢れていて、不平等で、くだらなくて、さもしくて、醜いか、ただそれら現実は自分を含む人間の弱さを映し出している鏡にすぎず、問題解決できるのも自分たち人間しかいないということも理解できるようになっている。



そんな今の社会を築いていく中核となる三十代半ばのこの齢になって、仕事もせず、旅という究極に贅沢な時間を半年以上自分に与えることにどんな意義があるのか。まわりの友人・知人の多くは結婚し、仕事や家庭の中で与えられた立場で各々社会的責任を全うしながら日々過ごしているというのに、たかが7ヶ月とはいえ社会貢献もせずにふらふらと放浪するという選択が正しかったのかどうかは4ヶ月以上たった今もよくわからない(楽しいことには間違いないけれど)。いま胸を張っていえることといえ ば、他人になんと言われようと今回の決断にまったくの後悔はないということ、ただそれだけだ。



三十代の折り返し地点を前にして旅を終える自分が、今後どこで何をしているのか。五年後はおろか一年後のことさえ今は予想がつかないけれど、旅を通して世界中の様々な人々と交流する中で、『自分にできること、自分がやらなければならないことで且つ喜びを感じることができるもの、自分の人生において必要としているもの』の具体案は色々と見えはじめてきた。



無目的に生きるには人生は長すきるけれど、目的を持って生きるには人の一生なんてほんとあっという間だ。ぼやぼやしてる暇なんかない。けれども、今はとにかく残りの旅の一瞬一瞬を大切にしながら存分に楽しむことにしよう。 詰まるところ、7ヶ月という「人生の寄り道」の良し悪しを決めるのは、他ならぬ自分自身なんだから。

2007/12/22

只今、旅の第三章に向けて準備中…

2007年も残すところ10日となった。

毎年、大晦日も差し迫ったこの頃になると、街は忘年会帰りの酔っ払いやクリスマス・お正月商戦の最後の追い込みで騒々しい。もっとも、私は昔からそれほど買物好きではなかった上に最近は物欲もめっきりなくなり、人混みにわざわざ自ら飛び込んでいくような無駄に体力と精神力を消耗する行動はせずに専ら自宅で茶でも啜りながら普段通り過ごすことが多いけど、それでも年末が近づくにつれてなんとなく気分がそわそわして落ち着かなくなったものだ。

それが今年は遠く離れた欧州にいるからか、もしくは旅という日常のルーティーンからかけ離れた空間にどっぷりと浸っているからか、いつもの気忙しさはなく何とものんびりしている。先週日曜日に7週間の欧州周遊を終えてオランダに戻ってきてからは、凍てつく寒さに外出しようなんて気にまったくならなず、完全にデブショーと化してしまっている。えっ、デブ症?いやいや、“出不精”です。もっとも、この2ヶ月、訪ねた先々で毎日のように歓待を受け続け、ジョギングもサボり続けた結果どちらで解釈しようともあながち冗談ですまされないぐらい横にも立派に成長してしまったが・・・神から天罰が下される前にさっさと次の大陸へ移動しないと。

そんなわけで、今はほぼ終日屋内でまったりしながら骨休みをしつつ次の旅に向けての準備を進めている。クリスマス明けの26日から始まる旅の第三章ともいえるエジプト・インドは今回の旅のハイライト。どちらも初めて足を踏み入れる国だし、治安・衛生面においてもアメリカやヨーロッパを旅するのとは勝手が違う。(しかもこの4ヶ月間のうち、半分は友人や元同僚宅で世話になっていたし。) ましてや女一人旅ということで危険な状況に自分を陥れないためにも周到な準備が欠かせないため、本を読んだり*、ネットで情報収集したり、現地出身の友人やその伝をフル活用させてもらいながら計画を練っているというわけだ。

(*先日は友人から借りた中谷美紀の「インド紀行I」を一気に読んだ。元々TVドラマには興味はなく芸能人にも疎いので彼女の女優としての演技力の程知らないけれど、初めて写真を見たときは、物事の本質を見抜くような鋭い眼差しを持つ頭の良さそうな人だなという印象はあった。この本は、女優中谷が北部インドをひとりバックパッカーとして38日間周遊した時の旅日記となっている。リズム感ある文章は小気味よい。女優という社会的地位に胡坐をかかず、常に己の立ち位置を客観的に確認しながら、自分の身に降りかかった出来事や旅先で出会った人々をよく観察している。行く先々でインド人に振り回され喜怒哀楽を包み隠さずにいながら、それでも己の弱さを含め謙虚にあらゆる事象を受け止めようとしている姿勢には好感が持てた。バイブル的「深夜特急」もいいけれどこちらもお勧めです。)

旅の荷物も、この4ヶ月で本当に必要なもの、あれば便利だけれど無くても何とかなるもの、まったく不要で何でこんなもんずっと持ち運び続けてきたのかと自分の間抜けさにあきれるような代物まで見分けがつくようになったのでここで一息に整理した。読んだ本は日本に送り返すか友人に寄付。これから始まるハードボイルドな(?)バックパック旅行に、正装用スラックスはいらない。ヨーロッパでは活躍した冬物コートもブーツも汗と埃が似合うバックパッカーには不釣り合いだ。トルコの挙式用にもってきたハイヒールもまあまず履く事はないしマニキュアもいらない。マニキュアがなければエナメル落としだって不要。化粧品だって基礎化粧品以外はこの際思い切って廃棄処分した。さあ、これからは基本はスッピン顔だ。これで変な男に接近される可能性は少しは減っただろうし、しつこく付きまわされたとしても友達から借り受けた偽物指輪を左薬指につけ、友人の彼氏の写真を携帯しておけば既婚者を装って適当にあしらうことができる。「声をかけられることを想定してなんて、タコボウズさん、あなたどこかで頭でも打って何か勘違いされてるんじゃあない?」と言うなかれ。日本ではナンパなるものをほとんど経験したことのない私でさえ、ムスリム圏では女ひとり旅と見ればそれこそ犬まで寄ってくる。少なくともトルコではそうだった。ここで「私って結構イケテルのかしら?」と勘違いしてノコノコとついていく日本人女性旅行客も多いと聞くが・・・まあ自分が何をやっているのかわかった上でアバンチュールを楽しみたいというのなら私の知ったこっちゃないですが・・ここは気を引き締めていくことにしよう。

そんなこんなで日本出発時には担ぐこともままならなかったバックパックも、20キロ以下に重量を減らすことができた。これからは何とか背負って歩くことが出来そうだぞ。それにしても、無駄なものを次から次へとそぎ落として身軽になっていくというのは何とも爽快で気持ちがいい・・・と書きながら、ふと、自分の腹回りに視線を落としてみた。ああ、何が無駄って、一番余計なものが腰周りにまだたんまりと残っているではないか~!これから暖かい地域に南下していくというのにこの2ヶ月で皮下脂肪を蓄えて冬篭り万全状態となってしまったなんてまったく皮肉なもんだ。いやはや、いくら一生に一度の機会で調子に乗っていたとはいえ、食道楽もほどほどにしなければ。とほほ・・・(涙)。

2007/12/15

Charles Dickens and Christmas Spirit (チャールズ・ディケンズとクリスマス精神)

"世界の平和は、まず家庭の平和から始まります。平和は、ほほえみから始まります。一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。"  -マザーテレサの言葉より

あと10日でクリスマス。ここ1週間ほど滞在したロンドンも、街中はデパート、レストランなどいたるところが赤や緑、金銀色々の装飾で彩られている。特にキリスト教徒が多いわけでもない日本でさえ、今頃はどこもクリスマツリーや派手なイルミネーションで華やぎ、都会のレストランやホテルはカップルをターゲットとした豪華ディナーや特別プランで溢れかえっていることだろう。相手のいない一人モンにとって、日本のクリスマスは否応なく肩身の狭い窮屈な思いをさせられるやってらんない時期だ。(いや、わたしゃ何も拗ねて言ってるわけじゃあないんですがぁネ、ホーリーで博愛に満ちた日であるべきクリスマスに、“二人っきりでロマンチックなクリスマスを”という企業の宣伝文句に浮かれ踊らされている人々や、クリスマス定番曲となっている辛島美登里の「サイレント・イブ」なんかの歌詞を聴くと、いつも捻くれてからかいたくなる衝動を抑えられなくなるのでアリマス。こういうのを世間は天の邪鬼と呼ぶのでしょう・・・まあこっちとしては何と呼んでくれようと構わないけど。)

一方、欧米では、クリスマスは一般的には日本の正月のように家族や親戚と共に祝うことが多い。この時期、特に子供のいる家庭ではクリスマスツリーの飾り付けが楽しくて、私もイギリス滞在中お世話になった子供のいる3つの家庭で飾り付けを3度経験することになった。また、プレゼントも、子供だけがサンタから受け取るのでなく、家族がお互いにプレゼントを贈り合う慣わしがある。年に一度、最も大切な祝日ということもあって人々の財布の紐は緩みっぱなし、それを狙って様々なビジネスが商戦を繰り広げて消費者の購買欲を刺激する。クリスマスの宗教色が薄れてかなり商業化しているのは、結局日本も欧米もどこも同じことのようだ。(日本の場合、そもそも初めから宗教色はなかったわけだけど。)

そういえば、それに関して先日ロンドンの地下鉄内で、面白い新聞記事の見出しを2本見つけた。ひとつは、毎年イギリス人がクリスマス時期にいかに無駄遣いをしているかということで、「一度も使われもせずに埃をかぶっているか、ゴミ箱行きとなっているプレゼント」の総額をどこかの研究所が試算したもの。(こういう類の数字はどうはじき出されるのだろう?) 2本目の記事は、クリスマスを機にいかに多くのイギリス人が支払い能力を超えたローンを組んで家や車など無謀な購買をしているかだった。どちらも詳しい数字は忘れたけれども、何億ポンドという莫大な額だったように思う。まあ、裕福な方々にはどんどんと消費していただいて有り余ったお金を社会に還元してもらうののは大いに結構なことだと思うけど、私みたいな庶民階級は身の丈にあった暮らしをするよう常に慎まないとイケマセン・・(自戒の念も含めて)。



さて、前置きが長くなったけれども、イギリス、クリスマスときて忘れてはならないのが、『クリスマス・キャロル』。19世紀のイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズによるあまりにも有名なお話なので今さら内容を紹介する必要はないと思うけれど、私にとってこの作品は、フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』(It's A Wonderful Life)と並んでクリスマスには欠かせない物語だ。ロンドンでも観光らしい観光はほとんどしていないけれども、昨日だけはディケンズ博物館(http://www.dickensmuseum.com/)に足を運んで、慈愛に満ちた作品の数々(といっても私はクリスマス・キャロルしか読んでいないけれど)を生み出した文豪の生涯に触れてみることにした。

そこで学んだところによると、ディケンズは中産階級ながらも金銭感覚の乏しい両親の下で生まれ、借金不払いで投獄された父親と共に獄生活したり、工場へ労働に出された時期もあった。多感な幼少時代に経験した貧乏や過酷な労働体験、精神的・身体的苦痛が、労働者階級の人々と同じ目線で立つディケンズの慈悲・博愛主義的姿勢の土台になったらしい。



ちなみに右上の写真はミュージアムショップで記念に購入した1951年出版の『クリスマス・キャロル』。裏表紙の説明によると、ディケンズは1843年の中秋、マンチェスター市内を急ぎ足で歩く傍ら物語のプロットを思いつき、「この国すべての家庭の暖炉に真のクリスマス精神」を伝えるべく、日夜何時間も書き続けてクリスマス直前に出版にこぎつけた。着想から上梓までの数ヶ月という短い時間、しかも自己負担で6000冊を刷り上げたいうこと考えると、いかにディケンズが使命感にかられて、精力的にこの作品を書き上げたのかがわかる。



スクルージのようにケチで冷血で心が貧しい人も、誰もが優しい気持ちになるクリスマス。ディケンズが作品を通して伝えようとした弱者を慈しむその精神は、宗教に関わらない普遍性があり、たとえクリスチャンでなくとも常に忘れないよう心がけ、大切に育み、次の世代へ伝えていかなければならない価値観だ。日本のように彼氏・彼女とディナーや夜景を楽しんだりするのも結構だけれども、せっかくクリスマスを祝うのであれば(これから新たに家庭を築いていこうとしているカップルならなおさらのこと)、ほんの一瞬でもいいからその本来の意義について考えることがあったらいいなと思う。みんながそう思うようになるならば、怒りや憎しみ、戦争に満ちた世知辛い世の中にも、1年に1日、12月のこの日だけは真の平和が訪れるのかもしれない・・そんな気がしませんか。



年末だからか、旅が半分終わったからか、思いやりと愛に満ち溢れた素敵な家庭を多数訪れて時間を共有することができたからか、なんとなくセンチなブログになってしまいましたが、何はともあれ、皆さんも楽しいクリスマスを。

2007/12/07

クリスマス・マルクト(Christmas Market)

とうとう師走に入り、2007年も残すところ3週間あまり。ドイツでは、クリスマス・マルクトと呼ばれる市場がで各地で開かれ、街全体が賑わいを見せている。 写真をたんまりと掲載したのでとくとご覧あれ!





ドイツはPlochingenという人口1万2000人の小さな街に、留学時代の友人を訪問、11年ぶりの再会を喜び、旧交を温めた

この時期、ドイツではどこの家の中もクリスマスの飾り付けで忙しい・・・

 

ドイツ・Plochingen市のクリスマス・マルクト



ドイツ・シュツッツガルト近郊、Esslinger市の中世クリスマス・マルクト


プロヒンゲンの後は、スイス・バーゼル市近郊の小さな村にストックホルムのユースホステルで知り合い、スウェーデン南部からハンブルクまで5日間のドライブに便乗させてくれたドイツ人家族を訪ねた・・

ドイツでは、12月6日は聖ニコラスの日。前夜、子供たちが靴をピカピカに磨いて玄関前に置いておくと・・・



翌朝には、聖ニコラスから素敵なプレゼントが・・・!

2007/12/02

スイスで出会った世界の旅人たち (World travellers in Switzerland)

話が少々前後してしまったけれども、ドイツ・ミュンヘンに移動する前、スイス・ルツェルンから西へ25Kmほど離れた郊外の小さな町Giswilに4日間滞在した。

お世話になったのは、ストックホルムのユースホステルで知り合った台湾人の友人Pさん(とスイス人BF、Bさん)。宝飾デザインのビジネスを自ら切り盛りしながら、資金を稼いではインド・ネパール・パキスタンなどハードコアなバックパック旅行に出るプロの旅人だ。他者を気遣い、インドでボランティア活動に従事するなど社会的弱者を労わる優しい心を持ちながら、一方で周囲に流される事のない芯の強さを兼ね備え、独立精神が旺盛で、自分の生き方についても数々の挫折やサバイバル経験に基づいた哲学を持っている。同世代の女性同士、共に世界旅行中ということもあってかすぐに意気投合し、僅か1日だけ共に時間を過ごしただけなのに「出会うべくしてであった」と、何か強い絆のようなものを感じさせる人だった。

そんな彼女から「彼と一緒に、スイスの農家民宿に3週間宿をとったからよかったら遊びにこない?」と突然のお誘いを受け、プラハ滞在を短縮して、迷惑も顧みずにのこのことお邪魔させていただくことにした。

農家民宿は、息を呑むほど美しい3000m級のアルプスの絶景が目前に広がる、湖に面した急勾配の丘の上に立っている。築何百年の木造小屋が点在し、今にもハイジとペーターが飛び出してきそうな丘陵地帯はまさに「アルプスの少女ハイジ」の舞台そのもの。小・中学校の頃、夏休みになるたびに父親に連れられて京都近郊の山々や北アルプス、八ヶ岳などの山々を歩き回った野生児時代の本能が目覚めたのか(ん?今も野生児のままってか?)、齢も弁えずに童心に返ってすっかりはしゃぎまくってしまった。

気温が氷点下まで下がる夜は、釜に薪をくべて部屋を暖め、またPさんの彼氏Bさんがパスタやカレー、スイスの家庭料理など毎晩手料理を振舞ってくれた。Bさんは、ヨーロッパアルプスをテントと寝袋を担いでスイスから地中海まで縦走したこともあるアルピニスト。また世界中をバイクで駆け巡った経歴を持つ生粋の旅人でもある。夕飯には、Bさんの長年の友人で、これまたスイスからオーストラリアまで足掛け3年かけてバイクで旅したモータサイクリストG氏も加わり、4人でワインやビールを飲みながら毎晩深夜すぎまで彼らの冒険談、人生談義で話が盛り上がった。

世間体や既成の価値観に囚われず、自らの責任において自分の人生を切り開いてきた真の自由人・パイオニアたち。ここに集ったそんな3人の話を聞いていると・・・・・いやはや、私なんてまだまだヒヨッコだな。 (かといって、3年も旅してたら、現実に戻るのが難しそう。)

 

Bさんお手製のチーズ料理やパスタ、ケーキをつまみ、毎晩深夜すぎまで盛り上がりながら過ぎていったスイス山奥での4日間。上は薄くスライスしたチーズを小さな鉄板の上で溶かし、茹でたジャガイモにかけていただく、フォンデュと同じぐらい一般的なスイスの田舎料理『ラクレット』。


手際よくチャッチャとアップルパイをこしらえるBさん。











2007/12/01

"Nabe" in Barvaria!!!


Oh, how could I have ever imagined that I would eat our typical Japanese winter dish "nabe" in the middle of Europe (Munich), prepared by German/Austrian couple....?!? All I can say is that I am so happy that I am blessed to have been surrounded by such amazing folks. Will my diet ever start or not??

2007/11/29

"Snow Angel" in Giswil, Switzerland

Whether I have a kid's mind in myself or am still a kid myself, it is alway fun to play in snow no matter how old I get...oh, what a blast!




Some ramdom quotes to remember...

"I think I am happy with what I've got." - anonymous

"(In India) you can see a big, beautiful smile on kids' face, even though they did not have anything, not even enough clothes. On the other hand, I realized myself not being happy, all stressed out, while surrounded by so many things stuffed in my room...Why is that? I started questioning what makes the difference between the kids and myself..." - anonymous

2007/11/27

The Spirit of Prague


"But to my mind it was not freedom that most influenced the shape and the spirit of Prague, it was the unfreedom, the life of servitude, the many ignominious defeats and cruel military occupations." (Ivan Klima, "The Spirit of Prague", P40, Granta Books, 1994)  

プラハ市のWenceslas Squareは、宿泊した安宿から徒歩3分のところにある。チェコスロバキア時代、 数々の民衆デモやストライキの舞台となったことで知られるこの広場だけれども、今では高級ブティック店やカジノ、マクドナルドなどが所狭しと立ち並ぶちょっとした繁華街だ。路上は世界中からの観光客で溢れかえり、ホットワインやホットドッグを頬張ったり、思い思いにカメラを向けて記念撮影している。アジア人らしき団体客はツアーコンの甲高い声に耳を傾けるのに必死で、路上の物乞いにも見向きもしない。その合間を縫って老女が買物袋をぶら下げながら、まるで周りの喧騒がまったく気にもとまらないかのように一定のペースで歩いている。

観光客も地元の人も、それぞれ楽しく人生を謳歌しているように見えるその様子は、ちょっとした観光地であればどこでも遭遇するような風景で、現在のプラハからは1989年以前の暗澹とした共産主義時代の面影はまったく見当たらない。けれども、お店の店員やミュージアムの受付係から愛想ない応対を受けると、この街が20年ほど前までは自分が生まれ育った自由社会とはまったく別の世界に属していたということを実感する。(まあ、厳密には無愛想なサービスは欧州全般に当てはまることなので、何もプラハに限ったことではないけれど。)

共産主義による抑圧、ソビエトによる侵略等を経て現在プラハに住む人たちは、どんな気持ちで今の時代を生きているのだろう。そのヒントを少しでも探りたくてプラハ市内を色々と探索してみたものの、どこを見てもプラハの表層部分しか見えてこないような気がしてならない。そこで、最終日は中心部から少し離れた人気の少ない公園まで足を延ばしてみることにした。

その公園は、眼下にブルタバ川が流れ、プラハ市全体が見渡せる絶景ポイントとなっている。にも関わらず、芝生には雑草が生え、壁という壁は落書きで埋め尽くされていて、市の手入れがあまり行き届いていないことは一目瞭然だ。旧市街やプラハ城から徒歩10分の距離なのに、たまに地元の老人とすれ違うぐらいで観光客らしき人はほとんど見当たらない。おそらくどの言語のガイドブックにも相手にされない場所なのだろう。

公園を1時間ほどかけて散歩した後は、「カフカ・ミュージアム」と「共産主義ミュージアム」を訪ねてみた。カフカ・ミュージアム(http://www.kafkamuseum.cz/)は、チェコを代表する作家Franz Kafka(1883-1924)の人生と作家が生きた時代の流れが時系列に纏められている。日記や自筆の手紙、スケッチ画なども展示されており、数々の作品が生まれた歴史的・個人的背景が学べて興味深い。共産主義ミュージアム(http://www.muzeumkomunismu.cz/)は、1948年のクーデターによる共産党政権成立から1989年のビロード革命による崩壊に至るまでの時代が、「イデオロギー」「理想と現実」「悪夢」など、テーマ毎に詳しく学べるようになっている。これら2つの博物館は、プラハの数あるミュージアムの中でも19世紀以降の近代史、特にナチズムや戦後の全体主義体制の下で市井の人々が置かれていた状況を知る上では欠かせない。




プラハ最終日の夜。東欧圏で最も長い歴史を誇るジャズクラブReduta(1994年に当時のクリントン大統領がサクソフォンを演奏したことでも知られるらしい)でチェコビールとモダンジャズに酔いしれた後、最後にもう一度旧市街とWencelas Squareを歩いてみた。そこはネオンが輝き、路上は老若若者で賑わっている。各々自由を謳歌しているその風景は、前日となんら変わりはない。

たかが数日間の滞在、しかも地元の人との直接の交流もなしに街の心などが簡単に理解できるわけがない。公園の落書きにしても、ビロード革命以前のものなのか比較的最近のものなのかは察しがつかないし、落書きを単なる心の乱れと見るのか、民衆のエスタブリッシュメントに対する不満や怒りのエネルギーの表れと見るのか、またはアートと見るのかは意見の分かれるところだろう。(そもそも落書きなんてどこにでもあるものだし。) その真相は知る由もないけれども、観光地からちょっと外れた公園を歩き、歴史をごく一部でも学べたことで、昨日までとは違った気分でこの街に愛着を感じるようになっていた。

現在の米国や日本社会が抱える様々の経済・社会問題などを鑑みると、自由社会や市場経済が素晴らしいものと盲目的に信じることは決してできないけれど、それでも普段私たちが特に意識することなく当たり前のように享受している自由―それは言論の自由、宗教の自由、恋愛の自由、そして私のように好き勝手に働き、食べ、旅に生きる自由―の意義、いかに自分が恵まれた境遇にあるのかを、改めてひしひしと噛みしめている。世界中には、今、この瞬間においてさえ、20年前までのプラハとよく似た状況下に置かれている人々が何千万、いや何億、何十億人といるのだろうから。

2007/11/23

Chocolate Paintings in Praga

ベルリンから列車に揺られて4時間半、プラハにやってきた。長年恋焦がれていた人に初めて会う時のような、内心ソワソワした落ち着かない気持ちで向かったものの、実際訪れてみるとパッと見からはそれほど大した感動は覚えない。

確かに、表向きは綺麗な街ではある。旧市街、カレル橋、プラハ城、ちょっとした街角などどれをとっても長い歴史の重みが感じられ、絵になる。1989年に鉄のカーテンが取り除かれるまで共産主義圏に属していた過去を持つだけに、これまで訪れた西欧の都市とはまったく別の雰囲気が感じられる。日本からプラハだけを訪ねたのであればもう少々心揺り動かされたのかもしれないが、3ヵ月以上旅してきた中で、ストックホルムやパリなど所謂表向き「美しい街」を訪ねすぎて美的感覚が鈍ってきているのかもしれない。観光客が溢れ(まあ、自分自身も観光客の一人であるわけだけど・・・と書いて、ストックホルムのユースホステルで知り合った友人の言葉を思い出した。私は観光客なんかじゃない。旅人なんだ。)、何をするにも買うにも観光客価格で支払わされていると何だか急に冷めた気持ちになってしまう。いくらとびっきり美人でも、金をせびられると冷める気持ちになるのと同じなのかどうか・・・男性諸君、いかがでしょう?

ということで、相変わらずガイドブックも持たずあてもなくブラブラ歩き続けていると面白い美術館に出くわした。その名も「Museum of Chocolate Paintings」。チョコレートを使って絵を描き続けている画家Vladomir Cechの作品が展示されている小さな美術館だ。入場料150チェコクロナということで少々高めだけれど、面白そうなので覗いてみることにした。










美術館では、作家の作品展示以外に、カカオ豆やチョコレートと人類との関わりの歴史について学んだり、自らチョコレートで絵を描くこともできるようになっている。 で、私の自慢の作品が・・・













これ。手塚治虫マンガに慣れ親しんで育ってきた人ならば一目瞭然でしょう。 将来プレミアが付く前に購入後希望の方は、タコボウズまで早めにご連絡を。

このほかにも、プラハ市内には小さなアートギャラリーやJazz Club、カフェなども多数あり、またカフカ・ミュージアムなどプラハの深層部を知る上で興味深そうな博物館も多そうだ。明日にはスイス・ルツェルン郊外に向かうことになるので、PCの前でブログを書くのもこれぐらいにして、残り時間を楽しむようにしよう。