あと10日でクリスマス。ここ1週間ほど滞在したロンドンも、街中はデパート、レストランなどいたるところが赤や緑、金銀色々の装飾で彩られている。特にキリスト教徒が多いわけでもない日本でさえ、今頃はどこもクリスマツリーや派手なイルミネーションで華やぎ、都会のレストランやホテルはカップルをターゲットとした豪華ディナーや特別プランで溢れかえっていることだろう。相手のいない一人モンにとって、日本のクリスマスは否応なく肩身の狭い窮屈な思いをさせられるやってらんない時期だ。(いや、わたしゃ何も拗ねて言ってるわけじゃあないんですがぁネ、ホーリーで博愛に満ちた日であるべきクリスマスに、“二人っきりでロマンチックなクリスマスを”という企業の宣伝文句に浮かれ踊らされている人々や、クリスマス定番曲となっている辛島美登里の「サイレント・イブ」なんかの歌詞を聴くと、いつも捻くれてからかいたくなる衝動を抑えられなくなるのでアリマス。こういうのを世間は天の邪鬼と呼ぶのでしょう・・・まあこっちとしては何と呼んでくれようと構わないけど。)


さて、前置きが長くなったけれども、イギリス、クリスマスときて忘れてはならないのが、『クリスマス・キャロル』。19世紀のイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズによるあまりにも有名なお話なので今さら内容を紹介する必要はないと思うけれど、私にとってこの作品は、フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』(It's A Wonderful Life)と並んでクリスマスには欠かせない物語だ。ロンドンでも観光らしい観光はほとんどしていないけれども、昨日だけはディケンズ博物館(http://www.dickensmuseum.com/)に足を運んで、慈愛に満ちた作品の数々(といっても私はクリスマス・キャロルしか読んでいないけれど)を生み出した文豪の生涯に触れてみることにした。
そこで学んだところによると、ディケンズは中産階級ながらも金銭感覚の乏しい両親の下で生まれ、借金不払いで投獄された父親と共に獄生活したり、工場へ労働に出された時期もあった。多感な幼少時代に経験した貧乏や過酷な労働体験、精神的・身体的苦痛が、労働者階級の人々と同じ目線で立つディケンズの慈悲・博愛主義的姿勢の土台になったらしい。
ちなみに右上の写真はミュージアムショップで記念に購入した1951年出版の『クリスマス・キャロル』。裏表紙の説明によると、ディケンズは1843年の中秋、マンチェスター市内を急ぎ足で歩く傍ら物語のプロットを思いつき、「この国すべての家庭の暖炉に真のクリスマス精神」を伝えるべく、日夜何時間も書き続けてクリスマス直前に出版にこぎつけた。着想から上梓までの数ヶ月という短い時間、しかも自己負担で6000冊を刷り上げたいうこと考えると、いかにディケンズが使命感にかられて、精力的にこの作品を書き上げたのかがわかる。
スクルージのようにケチで冷血で心が貧しい人も、誰もが優しい気持ちになるクリスマス。ディケンズが作品を通して伝えようとした弱者を慈しむその精神は、宗教に関わらない普遍性があり、たとえクリスチャンでなくとも常に忘れないよう心がけ、大切に育み、次の世代へ伝えていかなければならない価値観だ。日本のように彼氏・彼女とディナーや夜景を楽しんだりするのも結構だけれども、せっかくクリスマスを祝うのであれば(これから新たに家庭を築いていこうとしているカップルならなおさらのこと)、ほんの一瞬でもいいからその本来の意義について考えることがあったらいいなと思う。みんながそう思うようになるならば、怒りや憎しみ、戦争に満ちた世知辛い世の中にも、1年に1日、12月のこの日だけは真の平和が訪れるのかもしれない・・そんな気がしませんか。
年末だからか、旅が半分終わったからか、思いやりと愛に満ち溢れた素敵な家庭を多数訪れて時間を共有することができたからか、なんとなくセンチなブログになってしまいましたが、何はともあれ、皆さんも楽しいクリスマスを。
0 件のコメント:
コメントを投稿