2007/12/15

Charles Dickens and Christmas Spirit (チャールズ・ディケンズとクリスマス精神)

"世界の平和は、まず家庭の平和から始まります。平和は、ほほえみから始まります。一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。"  -マザーテレサの言葉より

あと10日でクリスマス。ここ1週間ほど滞在したロンドンも、街中はデパート、レストランなどいたるところが赤や緑、金銀色々の装飾で彩られている。特にキリスト教徒が多いわけでもない日本でさえ、今頃はどこもクリスマツリーや派手なイルミネーションで華やぎ、都会のレストランやホテルはカップルをターゲットとした豪華ディナーや特別プランで溢れかえっていることだろう。相手のいない一人モンにとって、日本のクリスマスは否応なく肩身の狭い窮屈な思いをさせられるやってらんない時期だ。(いや、わたしゃ何も拗ねて言ってるわけじゃあないんですがぁネ、ホーリーで博愛に満ちた日であるべきクリスマスに、“二人っきりでロマンチックなクリスマスを”という企業の宣伝文句に浮かれ踊らされている人々や、クリスマス定番曲となっている辛島美登里の「サイレント・イブ」なんかの歌詞を聴くと、いつも捻くれてからかいたくなる衝動を抑えられなくなるのでアリマス。こういうのを世間は天の邪鬼と呼ぶのでしょう・・・まあこっちとしては何と呼んでくれようと構わないけど。)

一方、欧米では、クリスマスは一般的には日本の正月のように家族や親戚と共に祝うことが多い。この時期、特に子供のいる家庭ではクリスマスツリーの飾り付けが楽しくて、私もイギリス滞在中お世話になった子供のいる3つの家庭で飾り付けを3度経験することになった。また、プレゼントも、子供だけがサンタから受け取るのでなく、家族がお互いにプレゼントを贈り合う慣わしがある。年に一度、最も大切な祝日ということもあって人々の財布の紐は緩みっぱなし、それを狙って様々なビジネスが商戦を繰り広げて消費者の購買欲を刺激する。クリスマスの宗教色が薄れてかなり商業化しているのは、結局日本も欧米もどこも同じことのようだ。(日本の場合、そもそも初めから宗教色はなかったわけだけど。)

そういえば、それに関して先日ロンドンの地下鉄内で、面白い新聞記事の見出しを2本見つけた。ひとつは、毎年イギリス人がクリスマス時期にいかに無駄遣いをしているかということで、「一度も使われもせずに埃をかぶっているか、ゴミ箱行きとなっているプレゼント」の総額をどこかの研究所が試算したもの。(こういう類の数字はどうはじき出されるのだろう?) 2本目の記事は、クリスマスを機にいかに多くのイギリス人が支払い能力を超えたローンを組んで家や車など無謀な購買をしているかだった。どちらも詳しい数字は忘れたけれども、何億ポンドという莫大な額だったように思う。まあ、裕福な方々にはどんどんと消費していただいて有り余ったお金を社会に還元してもらうののは大いに結構なことだと思うけど、私みたいな庶民階級は身の丈にあった暮らしをするよう常に慎まないとイケマセン・・(自戒の念も含めて)。



さて、前置きが長くなったけれども、イギリス、クリスマスときて忘れてはならないのが、『クリスマス・キャロル』。19世紀のイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズによるあまりにも有名なお話なので今さら内容を紹介する必要はないと思うけれど、私にとってこの作品は、フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』(It's A Wonderful Life)と並んでクリスマスには欠かせない物語だ。ロンドンでも観光らしい観光はほとんどしていないけれども、昨日だけはディケンズ博物館(http://www.dickensmuseum.com/)に足を運んで、慈愛に満ちた作品の数々(といっても私はクリスマス・キャロルしか読んでいないけれど)を生み出した文豪の生涯に触れてみることにした。

そこで学んだところによると、ディケンズは中産階級ながらも金銭感覚の乏しい両親の下で生まれ、借金不払いで投獄された父親と共に獄生活したり、工場へ労働に出された時期もあった。多感な幼少時代に経験した貧乏や過酷な労働体験、精神的・身体的苦痛が、労働者階級の人々と同じ目線で立つディケンズの慈悲・博愛主義的姿勢の土台になったらしい。



ちなみに右上の写真はミュージアムショップで記念に購入した1951年出版の『クリスマス・キャロル』。裏表紙の説明によると、ディケンズは1843年の中秋、マンチェスター市内を急ぎ足で歩く傍ら物語のプロットを思いつき、「この国すべての家庭の暖炉に真のクリスマス精神」を伝えるべく、日夜何時間も書き続けてクリスマス直前に出版にこぎつけた。着想から上梓までの数ヶ月という短い時間、しかも自己負担で6000冊を刷り上げたいうこと考えると、いかにディケンズが使命感にかられて、精力的にこの作品を書き上げたのかがわかる。



スクルージのようにケチで冷血で心が貧しい人も、誰もが優しい気持ちになるクリスマス。ディケンズが作品を通して伝えようとした弱者を慈しむその精神は、宗教に関わらない普遍性があり、たとえクリスチャンでなくとも常に忘れないよう心がけ、大切に育み、次の世代へ伝えていかなければならない価値観だ。日本のように彼氏・彼女とディナーや夜景を楽しんだりするのも結構だけれども、せっかくクリスマスを祝うのであれば(これから新たに家庭を築いていこうとしているカップルならなおさらのこと)、ほんの一瞬でもいいからその本来の意義について考えることがあったらいいなと思う。みんながそう思うようになるならば、怒りや憎しみ、戦争に満ちた世知辛い世の中にも、1年に1日、12月のこの日だけは真の平和が訪れるのかもしれない・・そんな気がしませんか。



年末だからか、旅が半分終わったからか、思いやりと愛に満ち溢れた素敵な家庭を多数訪れて時間を共有することができたからか、なんとなくセンチなブログになってしまいましたが、何はともあれ、皆さんも楽しいクリスマスを。

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