2007/11/27

The Spirit of Prague


"But to my mind it was not freedom that most influenced the shape and the spirit of Prague, it was the unfreedom, the life of servitude, the many ignominious defeats and cruel military occupations." (Ivan Klima, "The Spirit of Prague", P40, Granta Books, 1994)  

プラハ市のWenceslas Squareは、宿泊した安宿から徒歩3分のところにある。チェコスロバキア時代、 数々の民衆デモやストライキの舞台となったことで知られるこの広場だけれども、今では高級ブティック店やカジノ、マクドナルドなどが所狭しと立ち並ぶちょっとした繁華街だ。路上は世界中からの観光客で溢れかえり、ホットワインやホットドッグを頬張ったり、思い思いにカメラを向けて記念撮影している。アジア人らしき団体客はツアーコンの甲高い声に耳を傾けるのに必死で、路上の物乞いにも見向きもしない。その合間を縫って老女が買物袋をぶら下げながら、まるで周りの喧騒がまったく気にもとまらないかのように一定のペースで歩いている。

観光客も地元の人も、それぞれ楽しく人生を謳歌しているように見えるその様子は、ちょっとした観光地であればどこでも遭遇するような風景で、現在のプラハからは1989年以前の暗澹とした共産主義時代の面影はまったく見当たらない。けれども、お店の店員やミュージアムの受付係から愛想ない応対を受けると、この街が20年ほど前までは自分が生まれ育った自由社会とはまったく別の世界に属していたということを実感する。(まあ、厳密には無愛想なサービスは欧州全般に当てはまることなので、何もプラハに限ったことではないけれど。)

共産主義による抑圧、ソビエトによる侵略等を経て現在プラハに住む人たちは、どんな気持ちで今の時代を生きているのだろう。そのヒントを少しでも探りたくてプラハ市内を色々と探索してみたものの、どこを見てもプラハの表層部分しか見えてこないような気がしてならない。そこで、最終日は中心部から少し離れた人気の少ない公園まで足を延ばしてみることにした。

その公園は、眼下にブルタバ川が流れ、プラハ市全体が見渡せる絶景ポイントとなっている。にも関わらず、芝生には雑草が生え、壁という壁は落書きで埋め尽くされていて、市の手入れがあまり行き届いていないことは一目瞭然だ。旧市街やプラハ城から徒歩10分の距離なのに、たまに地元の老人とすれ違うぐらいで観光客らしき人はほとんど見当たらない。おそらくどの言語のガイドブックにも相手にされない場所なのだろう。

公園を1時間ほどかけて散歩した後は、「カフカ・ミュージアム」と「共産主義ミュージアム」を訪ねてみた。カフカ・ミュージアム(http://www.kafkamuseum.cz/)は、チェコを代表する作家Franz Kafka(1883-1924)の人生と作家が生きた時代の流れが時系列に纏められている。日記や自筆の手紙、スケッチ画なども展示されており、数々の作品が生まれた歴史的・個人的背景が学べて興味深い。共産主義ミュージアム(http://www.muzeumkomunismu.cz/)は、1948年のクーデターによる共産党政権成立から1989年のビロード革命による崩壊に至るまでの時代が、「イデオロギー」「理想と現実」「悪夢」など、テーマ毎に詳しく学べるようになっている。これら2つの博物館は、プラハの数あるミュージアムの中でも19世紀以降の近代史、特にナチズムや戦後の全体主義体制の下で市井の人々が置かれていた状況を知る上では欠かせない。




プラハ最終日の夜。東欧圏で最も長い歴史を誇るジャズクラブReduta(1994年に当時のクリントン大統領がサクソフォンを演奏したことでも知られるらしい)でチェコビールとモダンジャズに酔いしれた後、最後にもう一度旧市街とWencelas Squareを歩いてみた。そこはネオンが輝き、路上は老若若者で賑わっている。各々自由を謳歌しているその風景は、前日となんら変わりはない。

たかが数日間の滞在、しかも地元の人との直接の交流もなしに街の心などが簡単に理解できるわけがない。公園の落書きにしても、ビロード革命以前のものなのか比較的最近のものなのかは察しがつかないし、落書きを単なる心の乱れと見るのか、民衆のエスタブリッシュメントに対する不満や怒りのエネルギーの表れと見るのか、またはアートと見るのかは意見の分かれるところだろう。(そもそも落書きなんてどこにでもあるものだし。) その真相は知る由もないけれども、観光地からちょっと外れた公園を歩き、歴史をごく一部でも学べたことで、昨日までとは違った気分でこの街に愛着を感じるようになっていた。

現在の米国や日本社会が抱える様々の経済・社会問題などを鑑みると、自由社会や市場経済が素晴らしいものと盲目的に信じることは決してできないけれど、それでも普段私たちが特に意識することなく当たり前のように享受している自由―それは言論の自由、宗教の自由、恋愛の自由、そして私のように好き勝手に働き、食べ、旅に生きる自由―の意義、いかに自分が恵まれた境遇にあるのかを、改めてひしひしと噛みしめている。世界中には、今、この瞬間においてさえ、20年前までのプラハとよく似た状況下に置かれている人々が何千万、いや何億、何十億人といるのだろうから。

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