2007/11/22

ベルリンで極上日本食を食す、の巻

道を挟んだ目の前にパン屋があったパリでの友人宅では、10日間の滞在中、ほぼ毎朝焼きたてのクロワッサンとバゲットを買いに走り、カプチーノと共に優雅な朝食を楽しんだ。クレープ、ケーキ類は言うまでもなく、口にするもの何でも美味しいパリは食道楽タコ坊主にとってはいまさに極楽。(結果、現在の体重がどうなっているかは読者の皆様のご想像にお任せします) 次の訪問地に向けて旅立つときは、それこそ断腸の思いで(なーんて、大袈裟な)パリを後にした。

「ビールとソーセージ、ジャガイモで6日間耐えることになるのか・・」とあまり多大な期待を抱かずにベルリンに向かうも、嬉しいことにそんな諦めは簡単に覆されることになる。まず、ベルリンで世話になった友人宅から歩いて3分の場所にパン屋があり(ドイツパンはずっしりと中身が詰まっていてこれまた美味しい)、朝の日課となっていたBakery Runはそのまま継続。串揚げ屋では、揚げたての銀杏やレンコンを頬張り、週末マーケットで葱や生姜、大根、豚バラ、椎茸を買い込んで、豚の角煮やキノコご飯をこしらえることができた。

でもなんといっても、ベルリン滞在中の最高のヒット料理はとんこつラーメンだろう。 チャーシュー、味付卵、麺の硬さ、スープ。どれをとっても日本国内で十分勝負できるほどの極上の出来栄え。しかも、これがすべてドイツ人シェフによって下拵えされているということで、感動が倍増したことはいうまでもない(さすが日本と同様、職人が尊ばれる国だけある)。  日本人が6000人いるデュッセルドルフ市ならまだしも、遥か彼方ベルリンでこれだけの味に出会おうとは期待していなかっただけに、あまりの旨さに終始笑みが止まらない。塩分を取りすぎるとわかっていながらも、 最後のスープ一滴まで美味しくいただいた。

 「えっ?美味しいかって?」                                                                   「そりぁ、もう、最高でーす!」



ということで、ベルリンでは専ら日本食中心の食生活に浸っていたわけだけど(旅に出てから3ヶ月、舌だけは着実に保守化してきているようです)、ドイツ料理をまったく食べなかったのかというわけではない。最終日には、ベルリン在住のドイツ人の友人と彼のアーティスト仲間が、手作りの南部地方の麺料理「シュペッツェル」とデザート、ワインを振舞ってくれた。



1.麺は、小麦粉、卵、塩を混ぜた生地を作り、ところてんの様に煮立った湯に絞りだす
2.ゆでた麺に削ったパルメジャンチーズ、バターでいためた玉葱を重ねオーブンで焼く
3.上にパセリを散らして出来上がり
4.デザートは滑らかな舌触りのクワルクチーズと手作りクランベリーソースを混ぜていただきます


 

私は、この日は専らアシスタントに徹してすっかりご馳走になりました

ベルリン在住の建築ジャーナリスト、アーティスト、不動産投資会社のやり手ビジネスマンの面々。今も再建が続く未完成の首都には彼らのような創造性に溢れた人材が多い。(彼らこそ、現在そして未来のベルリンを担っているといえよう。)この日もワインとビール、梅酒で深夜過ぎまで話が盛り上がった。


ふと気がつけば、本サイトもすっかり食道楽ブログに変貌している。そこで、考えた。自分は食べるのも作るのも大好きだけど、料理することが心から楽しいと思えるのはなぜだろう。もちろん美味しいものを食べること自体の喜びもある。特に拘りがあるわけではないけれど、選択肢があるのなら金太郎飴のように画一的なマクドナルドよりもちょっとでも個性を感じる食事処の方がいいという気持ちはある。でも、料理をすることや食事の一番の楽しさ大切さは、本能としての食欲やより旨いものを食べたいという贅沢欲にあるわけではなく、誰かと美味しいものや楽しい時間を共有しているという、そのはかない、かけがえのない瞬間にあるのだろう。たとえその相手が一生に一度きり出会う人であろうと、日々共に暮らす家族だろうと、かけがえのなさは変わらない。人はいつか死ぬ以上、そうした時は一生続くものではないのだから。

心のこもった美味しいものは、たとえA級グルメでなくとも家族や友人を結びつけ、人を幸せにする。 方や現代の日本の家庭においては、一人で食事をする「個食」をする子供が増え続けているといわれて久しい。食の大切さを見直すイタリア発祥のスローフード運動が日本でも芽生えつつあるとはいうものの、なかなか改善の兆しが見えないことは由々しきことだ。父親や母親は仕事が忙しく、子供は塾や習い事で都合がつかないなど、それぞれの立場からの言い訳は色々あるだろう。それでも、今一度血縁関係以外に家族でいることの意味を問い直し、各自が意識的、能動的に「家族であり続ける」ための努力をしていく必要のある時代に来ているのではないかと、遠く離れたプラハのレストランに一人ありて、思う。

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