2008/03/30

ヒマラヤでの秘湯体験 (Onsen in the Himalayas)

7ヶ月もの長期にわたる世界各都市を転々とする旅をしていると、

"Don't (Didn't) you miss Japan at all?"(日本が恋しくならない?) 
"Which city did you enjoy most?"(どの都市が一番楽しかった?)

という類の質問をよく、いや必ずといっていいぐらい尋ねられる。もともと、環境適応能力だけには優れている方なのか知らないが、この7ヶ月の間、早く帰国して日本の快適な暮らしに戻りたいと切望するようなことは一度たりともなかった。たとえそれが埃と排気ガス、騒音にまみれたデリーやコルカタにいようとも、底冷えするエジプトの砂漠やヒマラヤ山中の凍える寒さの宿で焚き火や蝋燭の明かりを頼りに一晩を明かすことになろうとも、観光客に強引に写真を撮らせ金を巻き上げようとするエジプトのオッサンにブチ切れそうになろうとも(向こうも、まさかナイーブで大人しいと‘される’日本人(しかも女性)観光客が食って掛かってくるとは思ってなかっただろうから、選んだ相手が悪かったと後悔したに違いない)、旅先での経験は快・不快かかわらず全てを受け入れて、自分が今在る処、今在る状態を楽しむよう心掛けてきた。

もっとも、それらの都市に移住して暮らすとなれば欲求レベルも異なってくるだろうし話は別かもしれない。でも少なくとも旅人でい続ける限り、自分はその土地に属さない外部者であるということ、世の中万事すべて留まることない移ろいゆくものであるという事が毎日感覚的に理解できるようになっていて、嫌なことも時間が経てば思い出の一ページになるということが頭でわかるようになっている。だから、何かが満たされない状況に遭遇したとしても、そのことを嘆くことなく、不快な思いすら楽しむべく『今』という時を充実させようと考えるようになるのだろう。よって、冒頭の『今まで廻った世界中の都市の中で、どこが一番楽しかった?』という質問は、一番答えに窮する。訪れたすべての街は『その時、その場所に存在していた瞬間においてはすべてが楽しく、印象的であった』というのが本当のところなんだから。正直、日本を懐かしんでいるような時間なんてまったくなかった。

ただ、そんな私にも唯一、風呂と温泉だけは恋しかった。さすがに夢にまで出てくることはなかったものの、寒い冬の欧州の街を歩いていてどれほど思い焦がれたことか。一日の最後に冷えた身体と心を温める風呂は癒されるし、寝つきもよくなる。加えて、銭湯や温泉のような公共浴場であれば社交場ともなりうるし、自然まで愛でてしまえる露天風呂ともなるとこれはもう健康的、友愛的、かつエコロジカルで、誰に対して何の躊躇もなく誇れる‘ピースフルなジャパン・カルチャー’のような気がしてならない。もっとも、温泉は簡単に輸出ができるわけではないから海外の方にはどんどん日本にお越しいただいて実体験してもらうしかないけれど、エジプトで訪れたいくつかのオアシスなんかでは一部温泉が大量に出ているところがあって、そんな大きな可能性を秘めた観光資源があるところに日本の‘ロテンブロ・カルチャー’を紹介し、地元に馴染む形で温泉施設でも作れば立派な文化交流、開発援助、平和促進に繋がるのではないかと思ってしまう。なんてったって、人間、素っ裸では戦はできないし、なんかこう、温泉にでもつかって気持ちイー気分でいれば、もう世の中どうなったっていいやという気になるとまではいわんでも、イライラ、カリカリすることなんてないだろうからね。

とまあ、これは私の個人的な好みと勝手な見解であって、風呂・温泉文化が万人に受け入れられる普遍的なものだという裏づけも確信もまったくあったもんじゃあないけれど、日本の冬の風物詩である露天温泉を遠いかの地で懐かしみながら、漠然と文化交流兼開発援助案を考えている時に偶然にもヒマラヤ山中で露天風呂*に入ることができたのだから、私の興奮がいかほどのものだったか、ご想像いただけましょう。宿から徒歩20分ほど谷を下っていかなければならなかったのが玉に瑕だったものの、もうとにかく10ヶ月ぶり、しかも3日間毎日6時間歩き続けた後の露天風呂はまさに極楽そのもの。以下は、極楽気分満喫中の証拠写真でーす。(*この露天風呂が日本の援助によるものなのかどうかは調べていません。)




写真1. ポーターのDさんとトレッキングガイドB君、入浴中







写真2. タコボウズ入浴中 (お見苦しい画像のため、割愛いたしました)








写真3. 2時間の入浴後 『今夜は、ビールが飲まいぞー!』

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