2008/09/28

過去30年間で最も珍妙なタイトルの書籍

現在、フリーランサーとして請け負っている仕事の一つに、以前働いていた出版業界(正確には『外資系学術出版業界』という業界でもさらにニッチな市場)の海外ニュースを収集し、要旨を翻訳して毎月一本のニュースに纏めるというものがある。

今日は、そんな中で見つけた2つの記事を紹介。

1.『過去30年間で最も珍妙なタイトルの書籍

英国で、『Greek Rural Postmen and Their Cancellation Numbers 』(ギリシャの田舎の郵便局員と消印)という本の表題が「過去30年出版されてきた書籍の中で最も珍妙なタイトル」という賞に選ばれたらしい。タイトルになっているからには、著者の何らかの意図なり思い入れがあるんだろうけれども、あまり読んでみたいという気はそそられないな。

ちなみに、洒落たタイトルだと個人的に思うのはレイモンド・カーバーの「愛について語る時に僕の語ること」(What We Talk About When We Talk About Love)。昨年、村上春樹がこの本を模して「走ることについて語る時に僕の語ること」という本を出版している。25年のランナー暦をもつ村上春樹が「走る」という行為を軸に自分について語った初のメモワールとして、ランナーだけでなく春樹ファンにも必読の書。

2.『死ぬまでに読んではならない10の書籍
まあ、本の選び方と評価については賛否両論あると思うけれど、批評の書き方が軽快で面白い。いわゆる「古典もの」を殆ど読むことなく35年間を過ごしてしまい、多少の後ろめたさを感じている者にはこのリストは慰めだ。


追記:去年の9月28日は、ギリシャのぼったくり島、ミコノス島。疲れがきたのか、熱っぽくて、1日中部屋でゴロゴロしていた。

2008/09/26

『ランチタイムは0分です』

今日、帰りの電車の中で恐ろしい広告をみた。

『右手にマウス。
左手におにぎり。
ランチタイムは0分です。』

右の写真(ちょっとぼけてるけれど)を見ての通り、これはおにぎりの広告。大手コンビニチェーンL社によるものだ。

おにぎりは、手軽に仕事(とは限らないかもしれないけれど)しながらでも食べられますよ―広告が伝えたいことは、要はそういうことだろう。この広告を一瞥してゾッと感じたのは私だけなのか。 これを見て、皆さんは何を感じられるだろうか・・・。

誤解を招かないようにいっておくと、私はおにぎりが大好きだし、おにぎり自身に非はない。(あたりまえのことだけど。) そういえば、映画『かもめ食堂』では小林聡美がヘルシンキに小さな日本食のお店を開いてせっせとおにぎりを握っていたっけ。おにぎりだって立派な日本食。シンプルで簡単そうに見えて、実は美味しく握るのは力加減が中々難しく、奥が深い。もっと世界にアピールして「Sushi、Tempura、Teriyaki、Edamane」の次ぐらいに挙げてやってもいいじゃないか、そんな気さえする。(実際、私も世界旅行中に何度かおにぎり作ったなあ。あ、もちろん、お好み焼き伝道師としては、庶民の味「お好み焼き」も忘れちゃあいけない。)

ともかく、わたしがゾッとしたのは「ランチタイムが0分」という部分。日本はまだこういうことが良しとされる社会なのか。戦後、家族や友人など愛する人達との語らいや食事の時間など、人間らしい生活を犠牲にして景気拡大や経済効率を追い求め続けてきたつけが今の疲弊した日本社会そのものだということがわかっていれば、「ランチタイムが0分→便利でいい」なんて思考回路にはならないはずだ。食が生命の基本であることはいうまでもない。そして食べるという行為を通して喜びや空間を他者と共有することは、特に私たち人間にとって友情や愛情を育む大切な時間でもある。普段は忙しさにかまけて意識することは少ないかもしれないけれど、日本という社会は食のあり方をあまりにお粗末に扱ってきたのではないかー。(最近でこそ食の安全や「地産地消」が注目し始めているけれど。)

先日就任したばかりの麻生首相が、昨日の国連演説で「景気回復して世界に貢献する」などと豪語していたけれど、人間(国民)の真の幸せとは何かという、本来最も先に問われるべき課題を議論せずに「景気拡大」だけをアホの一つ覚えのように叫び続けるのはもうやめてもらいたい。

もちろん、「ランチタイム0分」なんて馬鹿な宣伝も。

追記:去年の9月26日は、ギリシャのサモス島。天候不順でフェリーが欠便となり予定外で5日滞在したけれど、結果的には庶民的で悪くないところだった。滞在中撮った写真を手違いで全削除してしまって1枚も手元にないことが心残り。

2008/09/16

激動の時代だからこそ

グルジアの南オセチア紛争、福田首相の突然の辞任、金正日の病状悪化説、そして今日飛び込んできた米国大手証券会社破産のニュース。北京オリンピックで浮かれた世論を一気に冷ますニュースが毎週のように飛び込んでくる。世界中が注目する11月の米国大統領選も踏まえ、年末にかけて不穏な風向きだけれども、こんな時こそ自分の軸足をしっかりと構え、情勢を冷静に受け止めるよう心掛けたいもの。

去年の9月15日は、15時間かけてカッパドキアから黒海沿いの街トレブゾンまで深夜バスで移動。絶壁にこびり付くように建てられたスメラ修道院を訪ね、歴史と壁画と建築技術に圧倒された日(旧約聖書に出てくる『ノアの箱舟』の山として知られるアララト山を研究フィールドとする米国出身の考古学者が同じツアーに同行していて、直々壁画の説明を受けることができたのだ)。日帰りツアーで一緒だった人達とはそれぞれ連絡先を交換し、何人かとはその後メールで何度かやり取りしたけれど今は交信が完全に途絶えてしまっている。皆、それぞれの居場所で達者にしてるのかな。


2008/09/12

It's been a Year and Start Anew...

気がつけば、最後に更新してからいつの間にやら2ヶ月以上。あっという間に時が過ぎ去ってしまっていた。帰国して暫く落ち着いたら、写真の整理と合わせて中断していた旅ブログを継続しようなんて呑気に気構えていたけれど、帰国後には帰国後の生活があり、人との付き合いがあり、喜びや楽しみがあって旅を振り返る時間がまったくない(なかった)。特にこの夏は毎週末のように飲み会やパーティーや小旅行が重なって肝臓が悲鳴をあげないか本気で心配になるぐらいだった。今というこの瞬間を充実した時間として楽しめているのは幸せなことなのかもしれないけれど。

なにはともあれ、華の失業生活も7月で終わって8月からはフリーランスとしていくつかの仕事を掛け持ちしながら食っている。具体的には、週2、3日は友人のビジネスを手伝い、あとは前職の業界で付き合いのあった業者や出版社のコンサル業的?なことをしたり。収入は会社員時代には遠く及ばないものの、贅沢しなければ日々不自由なく暮らすには十分だし、自分で好きなように毎日のスケジュールを組めるという柔軟性において、精神的に満足していることは間違いない。(やりたいことリストが20項目近くに及ぶ人間には、この自由性は何を差し置いても最重要である。)

思えば、サラリーマン家業に終止符を打ってからちょうど一年。寸暇も惜しまず今の生活を楽しんでいるとはいうものの、ここ最近は『一年前はどこで何をしてたんだっけ』と振り返ることがままある。そんな時はこのブログに記録していた旅の足跡を確認して写真を眺めては当時の経験や出会った人達を思い出している。

個人的には、旅ブログは同時進行系に勝るものはないと思っている。新鮮味はあるし、旅先での記録は躍動感にも満ちているからだ。でも、一年時間をおいて記憶が熟成してから書くものまたいいものかもしれない・・・ということで、今日からはタイトルも新規一転、丁度1年前に始まった旅と今の自分の置かれた状況を鑑みながら日々の思いを綴っていくことにする。文筆業で食っていけるほど自分に文才があるわけではない。大した人間でもないし、偉そうなことをいえる立場にはないけれど、この流動の時代を生き、あちこち旅してた一個人が日々考えることを一つの形として残すことにまったく意味がないわけれはないだろうという思いを胸に、新たな一歩を踏み出そう。ブログも、人生も。

(去年の9月は、トルコを2週間周遊。トップの写真は、カッパドキアの夕焼けに映えるRose Valley。時間が過ぎてもいつまでも心に残る残映だ。)